姉に伝えたいこと

 新宿からバスに乗り福島へ。

 福島の姉から、ホテルを手配したと連絡があった。姉は多忙だが、その日の晩に数時間時間を空けてくれた。

 僕の母がまだクリスチャンだった頃、小さい姉は母に連れられて教会に通っていた。教会を出たあとエホバの証人になるが、一般男性との結婚を教団に咎められるかたちで除名され今に至る。

 除名されたとはいえ、教団に対する嫌な気持ちは特になく、また何かを信仰することがあるとするなら、それはエホバの証人だと数年前に姉から聞いたことがあった。

 姉に会って福音を伝える。エホバの証人が偽のクリスチャンであること、イエスが神であることを証しする。

神のこども

 夕方、福島市に到着した。姉がとってくれていた駅前のホテルにチェックインする。しばらく休憩した後、待ち合わせ場所へ向かった。

 姉と合流して近くの飲食店に入る。落ち着いて話ができる良い席を案内された。お互いの近況を分かち合った後、エホバの証人の話になった。

 教団と魔術の関係。改ざんされた聖書。組織の真の目的が真理からかけ離れていることを共有する。

 ゼカリヤ書などを通して、イエスが神であることを証しした。

 エホバの証人のくびきが、姉から解かれていく。

 幼い頃、教会に通っていた姉を主が覚えておられ、姉の名を呼んでいる。

 別れぎわ、姉に手を置きイエス・キリストの御名で祈った。

「アーメン」と姉が言った。

 少し嬉しそうな表情をしている姉の顔を見たイエス様の胸が熱くなった事がわかる「わたしの娘よ」と主は優しく語りかける。

 かつて、神の御前で楽しく走り回っていた多くの息子や娘を主がふたたび呼んでいる。

訓戒

 翌朝、快適なホテルをチェックアウトして駅の中にあるファストフード店でコーヒーを飲んでいる。

 さて、どうしたものか。と考えていた。旅の任務は完了したが沖縄に帰ることができそうにない。東北で仕事を見つけてしばらく働くべきだろうか。

 色々と思案しながら、心臓の裏側から不安が広がっていく。不信仰がまたもや僕にまとわりつきはじめていた。

 祈って聖書を開くと、詩篇78篇が開かれた。なんと、イスラエルの民を導く雲の事が書かれている箇所だった。14節から先を読み進めるにつれて悔い改めへと導かれていく。

「荒野で食事を備えることが、神にできるのか。確かに神が岩を打たれると水が湧き出て流れがあふれた。だが神はパンを与える事ができるのか。民のために肉を用意できるのか」

 数々の奇跡を経験しながらもなお不平を述べるイスラエルの民と自分が重なってみえる。

 みことばを通して神が訓戒を与えてくださっている。神の言葉を受け入れ祈った。

 主の教えは他の何にもまさってしたわしい。僕のような者をさえ、教えさとしてくださるのだ。

 主は今、生きておられる。

 神を信頼する領域へと心が戻ってきた。主を信頼しつつ、できることはなんでもしようと勇気が湧いてきた。

 「チケット代はクリスチャンが持ってきます」と言う主の語りかけを受け取った。

チケット代

 チケット代をいつ与えられるかは分からない。駅からしばらく歩いたところに職業相談所があることがわかったので、とりあえず情報だけでも入手しようと相談所に向かった。

 短期で住み込みの仕事などありますかと尋ねる。なかった。

 福島に滞在することにはならないようだ。どこに向かいましょうかと祈りつつ歩いていると、沖縄にいるみくさんからの電話が鳴った。

 僕が沖縄に無事戻って来れるようにと彼女は祈っていた。海が見えるそば家に、僕の状況を何も知らないアメリカから帰国したばかりの1人の牧師が来店された。沖縄そばを食べた後、そば屋に隣接しているみくさんの絵画ギャラリーに飾られていた1枚の絵を購入してチップも置いていったという。

「このお金は、わたしの祈りに対する神様からの答えだから受け取ってほしい。チケット代にあてて」とみくさんは言った。

 受け取ることをためらったが、朝、主が語られたことと、彼女の祈りに応えた主の御手を理解できたので感謝して受け取ることにした。

 「クリスチャンが持ってきます」という主の語りかけがあったことをみくさんに伝え、一緒に喜んだ。

 楽天銀行に振り込まれたお金で飛行機のチケットを購入する。絵の代金とチップは、飛行機のチケット代とほぼ同じ金額だった。

 その日の夜、夜行バスに乗り、僕は新宿に向かった。

主は今、生きておられる。

 翌朝、新宿から成田行きのバスに乗り、空港を目指す。無事、飛行機に乗ることができた。僕の席は緊急脱出口の近くだったので、思いっきり足を伸ばせる広々とした空間だった。

 大鷲の背中に運ばれて沖縄に帰ってきた。

 那覇空港に、みくさんと、みくさんの母、妹が迎えに来てくれた。

 ヒョクさんの東京クルセードからはじまった、12日間の思いがけない旅だった。

 信じられないくらい楽しい旅だった。イエス・キリストの素晴らしさと力と愛を味わい続ける旅だった。

 引き寄せの法則だとか、強く思うから叶うだとか、そんな言葉を遥かに越える主の御手が働いていた。僕は成功をイメージしなかった。強く念じてもいなかった。

 ただ、わからないままでいた。何も感じられなくても、目の前に、主が共におられる証拠が次々と現れた。

 失業中の1人のクリスチャンだ。自分自身に関して誇れる事は何もない。

 だから、僕はキリストを誇る。キリストの十字架を誇る。

 小さな島の、小さな教会の、小さき者の12日間が喜びのうちにおわった。

 主は今、生きておられる。我がうちにおられる。

 明日は13日目。主と歩む旅はつづく。

この奥義が異邦人の間で
どれほど栄光に富んだものであるか、
神は聖徒たちに知らせたいと思われました。
この奥義とは、
あなたがたの中におられるキリスト、
栄光の望みのことです。

コロサイ1:27

powered by crayon(クレヨン)