沖縄県の教会に通うクリスチャンです。文章の書きやすさを優先して、ですます調ではない固い書き方で記しますが、優しい雰囲気に変換しながら文章をお読みいただけると幸いです。
クリスチャンだった母は教会から離れてカルト宗教であるエホバの証人の信者となった。
母の改宗当時、赤ちゃんだった僕は泣くことしかできなかった。とてもよく泣く子だった。
20代の前半で僕は組織を離れた。そして、27歳の時に町の教会でバプテスマを受けて神様の元に帰ってきた。
クリスチャンだった、今は天国にいる祖母。
クリスチャンから、エホバの証人になった母。
エホバの証人から、クリスチャンになった僕。
3世代にわたる霊的な戦いはイエスキリストが勝利した。これからも勝利を重ね、現役のエホバの証人である母の立ち帰りを見ることを楽しみにしている。
僕の大好きな教会は約10年にもわたり幾たびも幾たびも嵐にみまわれた。
200名近くいたメンバーは現在12名にまで減少している。
神から見放されたかのように見える小さな群れで、決して見捨てることのない神を礼拝している。
これは、2023年現在、36才になった僕が体験した12日間の旅の記録。
東京に住んでいる元エホバの証人のK兄弟から、青年伝道師ブラザー・ヒョクのことを教えてもらった。
K兄弟は、関西に住むクリスチャンから「あなたはブラザーヒョクと関わることになるかもね」と言われた後、宣教旅行の途中、韓国のホテルでブラザーヒョクと出会う。
K兄弟は、後に東京のクルセードで日本人スタッフをまとめる役を担った。
YouTubeでヒョクさんの動画を観た僕は、彼のイエスに対する愛と純心さに心を打たれた。
今の時代に、彼のような器を用意してくださった神に感謝しながら、友人たちに動画をシェアした。
動画をみた友人たちからたくさん良い反応が返ってきた。9月に東京で大きな集会を開くらしい。いつの日か、沖縄にも来てほしいと強く願った。
7月14日。ヒョクさんが沖縄で集会を開くらしい。教会のみんな、友人たち、みくさん(彼女)とその家族と一緒に大きな期待を抱いて、会場である世界宣教教会へ向かった。
大きな期待は、大きな衝撃音とともに砕かれた。
神様から良いものをいただけると思いのぞんだその集会でまざまざと見せつけられたのは、自分たちのイエス様に対する真剣さの欠如と飢え渇きの少なさだった。
あー、はずかしい。はずかしい。と言いながら帰りの車のハンドルを握った。
その晩は、なかなか寝つくことが出来なかった。
集会の中で、ヒョクさんはイチジクの例え話、ヨシュアがヨルダン川を渡る時の話、アブラハムが祈りのこたえであるイサクを捧げた話をしていた。
9月の東京クルセードへの招きがあったとき、僕は手を挙げることが出来なかった。
携帯キャリアでの実入の良い仕事を退職してから数ヶ月経過しており、旅費に割く予算を確保できないと思えたし、そのような状況で東京まで行くのは慎みに欠けることだと思った。
僕の目は、現実をみつめていた。
聖会の後、共に参加した人たちの多くは霊に燃えており、東京クルセードへの参加を決意していた。
僕も行きたいと強く思ったが、経済的な心配があるのだとは誰にも言えなかった。
沖縄集会の動画が配信された後、動画を見て勇気が湧いてきた。周りのみんなの熱意も心を奮い立たせるものとなった。
そして、クルセードへ参加するのだと決意した。行き方はわからない。でも行くのだと決意した。
ある日、みくさんがクルセードへの想いを祈りながら聖書を開くとヨエル書のある箇所が開かれた。そこにはこう書かれていた。
「シオンで角笛を吹きならせ。断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ」
みくさんが聖句の意味を調べていると、新婚さんであっても参加を免除されない特別な集会のことを言っているとわかった。
みくさんの妹は7月に結婚式を挙げたばかりだった。
みくさん、新婚である妹夫婦、ご両親は飛行機のチケットと宿の予約をした。
ある日、デポーションの時に民数記9章がひらかれた。
雲が幕屋から上がるとイスラエルの民が旅立ち、幕屋の上にとどまるなら民は旅立たない。という箇所だ。
この箇所を神様からのメッセージだと受け取ったので、早めに申し込むと安く取れる飛行機のチケットをとらないことにした。
神様が行けと言うときに旅立つのだ。
クルセードの参加登録が開始されると同時に参加を申し込み、クルセード当日の朝に新宿で人と会う予定も組んだ。
東京に行くのはいつだろう。
飛行機のチケット代はゆるやかに値上がりをはじめていった。
みくさんのご両親は、沖縄県嘉手納町でおいしい沖縄そば家さんを営んでいる。
感謝なことに僕はヤンバルクイナを題材にした絵本や雑貨などの作品をお店のレジ横に置かせていただいている。
お店にライフ・ライン(早朝のクリスチャン番組)の取材クルーがいらした時のこと。
取材クルーに欠員が出たと言うことで、ヘルプで入っていた牧師とお話しをさせていただく機会があった。
何かの話の流れで、牧師先生がこう言った。
「ヤンバルクイナが突破口になるかもしれないね」
その言葉は、数日後に現実のものとなる。
神様が経済の必要を満たしてくださるという信仰が弱まりそうになる度に、信仰者たちの動画をみたりして心を強めた。
特に、カリーブレイクの語る「御国の経済」の動画は7度以上も繰り返してみた。
ジョージ・ミュラーやレスター・サムラルの信仰の証から神への信頼を強めていった。
クルセードの2日前、9月16日の早朝。みくさんのご両親が経営する沖縄そば屋さんに一本の電話が入った。
「お店に置かれていたヤンバルクイナの作品に感銘を受けました。作家さんに、今度始める会員制のお店のロゴなどをデザインしていただけないでしょうか」
みくさんと、いくらかやり取りをした後に、その人は次のようなメールを送ってきた。
「現地を見ていただきたいです。上京することは可能でしょうか。往復の飛行機チケット代は私が払います」
雲が動いたので、僕は飛行機のチケットをとることにした。
ふつかでも、一か月でも、あるいはそれ以上でも、
幕屋の上に、雲がとどまっている間は、
イスラエルの人々は宿営していて、道に進まなかったが、
それがのぼると道に進んだ。
民数記9:22